2010年06月30日

運?つき?ジンクス?

「○○!君は家でお母さんのお手伝いするか?」
「□□!君お前学校で友達に意地悪してないか?」


「ツキ」の語源は「憑き」からきているそうだけれど、「憑きもの」という第三者的なものが関与しているかどうかは定かではないのだけれど
長い間勝負の世界に居続ける人たちは「運」や「ツキ」を大切することが多いようである。

私も少年サッカーで、組み合わせを抽選で行うときには、その抽選には「キャプテン」ではなく、チームで一番「運の良い奴」に抽選を引いて貰うことにしている。

私の思うところの「運の良い奴」というのは、普段から人間性も含めて「みんなから好かれる良い奴」ということで、エースでFWなんていう選手は、基本的にエゴイストなので、抽選にいくことはないのである(笑)

以前にも書いたことがあるけれど、私は試合に集中していて、CKやFKの時に蹴る前に「これは入る!」と感じることが多々ある。

それは、「これはどうなる?」と考えるのではなく、「あっそうだ!」という何か突然思い出したときの感覚に似ている。

もちろんそれは、いつも訪れる感覚ではないし、こんなことを書いていてなんだけれど、私はいたって「一般ピープル」である(笑)

昔から知り合いにはかなりその手の友達や知り合いが多いのだけれど、「なんの根拠でそんな変なことをいうの?」と聞くと、彼らのほとんどの回答は「だって、そう感じるから」なのである。

私は理科系の人間なので、絶対納得がいかなかったのだけれど、最近はああそうか、彼らは考えるんではなく感じるしかないから、「理由はないけれどそう感じる」と、非科学的なことをいうのだと理解出来るようになった。

サッカーでも、こちらが決定的なチャンスを何回も外し続けると相手に少ないチャンスを決められることがあることを経験的に知っている。

「流れが悪くなる」とか、「流れが来ている」とか、TV中継でも何気なく使う言葉だけれど、決してそれは「科学的根拠」に基づいているわけではない。

「運」というのは、目に見えるものではなく「感じる」ことでしか認識出来ないのであろうか?

「運」には幾種類かあって、誰にでも訪れる運は、金持ちにも、貧乏人にでも、子どもでも大人でも太陽の光が同じように降り注ぐように、平等に訪れる運」と、自らが引き寄せることができる「運」があるらしい。

「シュート打って何度も何度もポストやバーに当たりはじき出されるシュートと、ポストやバーに当たるもゴールに吸い込まれるシュートがあるけれど、その差はなんだろう?」と選手に質問する。

選手達はいろいろ技術的なこととかで答えてくれるのだけれど、私はこいう。

「日頃の行いの差だな。普段から良い子は、サッカーの神様がご褒美をくれるんだよ!」


そして最後にかならずこう言う事にしている。

「今外れたのは、けっして、コーチのおこないが悪いんじゃないからな!!!」

キュウリの花が咲き始め、早くカッパ酒を飲みたいなあと思う塾長

PS:あ、そうそう、ちなみに、昨晩のPK失敗は駒野の日頃の行いのせいではないと思います(笑)
BEST16立派だったと思います。

posted by ドリドリ at 12:26| 新潟 ☁| ドリブル突破塾 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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